日めくりインドア女子

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映画「スタンド・バイ・ミー」 感想。少年時代の心の結びつきを見事に切り取った名作

1986年のアメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」を見ました。

現在、Amazonプライムビデオ対象になっています。

見たきっかけはイクニ作品

名作映画として挙げられることが多い「スタンド・バイ・ミー」ですが、私はこれまで見たことがありませんでした。

『少年時代の青春』がテーマだという先入観があり、少年時代を過ごしたことのない私には理解できないかもしれないと思い込んでいたのです。

それが最近になってなぜ見てみたくなったかというと、現在放送中のアニメ「さらざんまい」の監督である幾原邦彦さんのインタビューを読んだからです。

ダ・ヴィンチ 2019年6月号

ダ・ヴィンチ 2019年6月号

 

Kindle unlimited対象のダ・ヴィンチ六月号です。

そのなかで幾原邦彦さんは「さらざんまい」を制作に入る前にスタッフを集めて「スタンド・バイ・ミー」の鑑賞会を開いたのだとか。

「さらざんまい」に影響をあたえた映画「スタンド・バイ・ミー」を観賞することで主役少年三人のキャラクターを共有したかったそうです。

そのインタビューを読んで映画に興味を持ち、ちょうどAmazonプライム対象だったので見てみることにしました。

こうして知識や興味を広げてくれる作品に出会うと、うれしくなりますね。さらざんまいに感謝です。

スタンド・バイ・ミーのあらすじ

舞台はアメリカの小さな田舎町。

少年たちがタバコ(!)を吸いながら木の上にある秘密基地でおしゃべりをしています。

年齢は12歳。小学校を卒業し、休みのあとには中学へ進学する年頃です。

見た目がコドモなのにがっつり喫煙している時点で相当な悪ガキ感が漂ってきます。

少年は、ゴーディ、クリス、テディ、バーンの四人。

ゴーディは最近、兄を事故で亡くしました。優秀だった兄に入れあげていた両親はぼうっとして、家のなかは明かりが消えたようになってしまいました。ゴーディ自身も、優しい兄のことが大好きでした。

クリスは家が貧しく、不良の兄がいます。テディやバーンもそれぞれ家庭に問題を抱えていますが、四人でいるときはふざけあったり助け合ったりしてとにかく楽しそう。

ある日、バーンが兄たちの会話を盗み聞きします。行方不明と報じられている少年の死体を見つけたというもの。線路のずっと先のほうで、汽車に轢かれたらしい。

バーンはその話をゴーディたちに打ち明けます。

第一発見者になれば、テレビや新聞に出て有名になる。

親には近くでキャンプをするとだけ言って、四人で死体を探しに行こうと計画します。

ここから有名なあのシーン、長い線路の上をずっと歩き続ける四人の少年ですね。

なぜ死体なのか

旅の道中はおおむね楽しいものでした。気のおけない友人たちと、軽口をたたきながら走ったり、キャンプファイヤーのそばで眠ったり。

四人が楽しそうであればあるほど、見ていてある疑問が浮かんできます。

「探しに行く目的が死体なのに?」と。

普通に考えたら旅先で死体を発見するなんておそろしいことです。できれば体験したくない。

でも、四人はとても楽しそう。行方不明者の死体を発見できれば有名人になれる、という理由もありますが、死というのは少年たちにとって「非現実的だけれどいつか必ず訪れるもの」だから、それを見極めたいという願望があったのでしょうか。

四人のなかでゴーディは「兄の死」を身近で体験していますが、葬儀で泣くことができませんでした。優しくしてもらった思い出がフラッシュバックし、そのたびに兄の不在を思うゴーディ。死体を見つけに行くのは、ゴーディにとって兄の死と向き合うことだったのでしょう。

身体も心も成長ざかりの彼らにとって、死はとても遠いもの。だけど、いつか必ず死は訪れます。ちょうど小学校も卒業して、子供と大人のあいだにいる年代の少年が死体を目にするというのは「子供時代の終焉」も意味しています。

赦しあい、認め合う

旅をしているうちに諍いが起きることもあります。

ぶつかり合っても仲直り

せまりくる汽車の前で度胸を見せようとするテディ。見かねたクリスはテディを引っ張ります。以前も同じようにテンションを上げすぎたテディが目の前で木から落ちたことを思い出したからです。しかしテディはクリスに対して「子供じゃない!」と腹を立てます。家庭環境もあり怒りっぽいテディ。みんなの兄貴のように振る舞う責任感が強いクリス。決裂したらどうなることかとヒヤヒヤするシーンですが、クリスが仲直りの握手を二度申し入れ、渋々ながらテディもそれを受け入れて落着。

ぶつかりあっても、また仲直りすればいい。単純なことですが、なんて高度なコミニュケーションなのだろうと感心してしまいました。

才能を捨てさせない

また、進学か就職かで進路に悩むゴーディとクリスのシーンもよかったです。

ゴーディには物語作家としての素質があるから絶対に進学コースへすすむべきだと力説するクリス。その資質は、亡くなったゴーディの兄も認めていました。しかし親はまったく関心を示さず、「物語なんてなんの役にも立たない」と切り捨てられ自信が持てないゴーディ。そんな友人をクリスは掛け値なしに称賛し、激励します。親でも兄弟でもないけれど、大切な人になんとかしてその才能を伸ばしてほしいと願う友情に、涙が出そうになりました。

クリスの悩み

また、いつも飄々として平気そうなクリスも悩みがありました。給食費を盗んだ泥棒として悪名が広まってしまったクリス。現に、ゴーディの父親も「あんな盗人と付き合うんじゃない」と忠告していました。

クリスが給食費を盗んだのは事実か? とゴーディは聞きます。クリスは盗んだことを認めました。しかし、それには続きがありました。給食費を盗んだあと、罪の意識を感じたクリスは教師のところへそれを返しに行ったのです。しかし、クリスから戻ってきた給食費を教師がくすねてしまいました。教師が次の日にはいてきた真新しいスカートのことを、ゴーディも覚えていました。

教師のしたことにより、給食費は戻されず、クリスは泥棒のまま。確かに泥棒をはたらいたことは事実ですが、返却したことをもみ消されて悔し泣きをするクリス。自分は家庭環境が悪いから、それを告発したとしても誰も信じてくれない。このまま自分はこの町のなかだけで生きて死んでいくのかと苦悩するクリスを、ゴーディは慰めます。そしてクリスの頭の良さをあげ、自分と一緒に進学コースへ進むべきと強く勧めます。「そんなのは無理だ」と言うクリスでしたが、確かな友情のもとにされるアドバイスは心に響いたようです。大人になったゴーディがモノローグで「クリスは進学して弁護士になった」と語ることからそれがわかります。

死体とむきあう少年たち

鉄橋で汽車にひかれそうになったり、沼地で体中をヒルに吸血されたりしながらついに死体を発見する四人。

ちょうど同じくらいの年頃の少年のなきがらを目の当たりにして、言葉を失いながらも、木の枝で担架をつくろうとクリスが提案します。

ぞろぞろと従うテディとバーン。しかしゴーディは、じっと死体のそばでたたずんでいました。

様子がおかしいゴーディに寄り添うクリス。

ゴーディは、兄の葬儀で泣けなかったことを語りだします。

回想シーン。埋葬される兄。すすりなく母。ゴーディの肩に、父の手が置かれます。そして発された言葉。「おまえだったらよかったのに」

父の発言シーンが事実なのか、それともゴーディの心理が見せているものなのかはわかりません。しかし、ゴーディ自らがそう思っていることは事実で、「なぜ兄は死んだのだろう。なぜぼくじゃなかったのだろう。パパはぼくを役立たずだと言った。パパはぼくを嫌ってる」と、少年の死体を前にして慟哭します。

クリスは、泣きじゃくるゴーディの肩をさすりながら「バカを言うな。お父さんはゴーディのことを知らないだけだ。君はきっと大作家になる。書く材料に困ったら僕らのことを書け」と言うのです。

相手のありのままを認め、受け入れ、さらに光のほうへと導く存在。たとえこのあと進む道がはなればなれになっても、ずっと会わないまま死に別れたとしても、人生にかつてかけがえのない友人がいたという事実があるだけでずっと生きていけるんじゃないでしょうか。長い人生のなかのたった数年のあいだだったとしても。

映画「スタンド・バイ・ミー」はそんな「少年同士の強い心の結びつき」を見事に切り取っていました。大人の友情よりもピュアに感じるのは、自分の進路もまだわからない少年らが懸命に相手のことを思っているから、でしょうか。利害なんて一切なしに、純粋に相手の不幸を悲しみ、幸福を願うところが素晴らしい。思わず「にんげんっていいな…」とつぶやきたくなってしまうほどです。

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

 

スティーヴン・キングによる原作では映画とすこし違うところもあるとか。こちらも今度読んでみようと思います。