ある日、スーパーのお菓子コーナーで悩んでいたときのことです。
不動のポーズで悩み続けるわたしの横で、同じようにずっとお菓子を吟味している男の子がいました。
見たところ、小学校に入りたてくらいの年頃でしょうか。
ずいぶんサイズの大きな、小児用とは思えないぶかぶかのスタジアムジャンパーを着て、ある一定のゾーンであまった袖をぶらぶらさせながらお菓子の棚を見ています。
わたしと同じで、買うお菓子を決めかねているのかな。最初はそう思いました。
子どもは妖怪が描かれたお菓子のパッケージを手に取ってながめたり、それを戻したとおもったらもっと奥の同じシリーズのお菓子を手にしたりしていました。
近くに人の姿はなく、お菓子コーナーにはわたしとその子の二人だけでした。
チョコレートのすぐ隣のほうにいるその子を、見るともなしに見ていたとき。
わたしが見ている目の前で、
ぶかぶかの袖口にお菓子の箱を入れてしまいました。
目を疑いました。
まさかすぐ横に人の目があるのに、そんな行動に出るなんて。
しかも年端もいかぬ子どもです。
周りをみても、男の子の親や兄弟、仲間らしき人物はいません。
こんな小さな子が、単独でそんな行動に出るということにわたしは殴られたような気分に。
間違いであってほしい。
もしくは、あとでちゃんとお金を払って購入するつもりであってほしい。
でも、レジでお金を払うにしろ、袖口に商品を入れるのはルール違反です。
なぜならそれは店員から認識されがたい場所だから。
誤解なのかもしれない。
もしかしたら「おっとうっかり、手がすべって袖口にはいってしまった」、そんな感じなのかもしれない。
そんな願いをこめながら、わたしはさっきよりも至近距離で男の子を見つめました。
いまの、わたしはみていたよ。
商品を戻すか、手に持ち替えるといいよ。
念力もテレパシーもつかえませんが、心の声を眼に込めながら。見つめました。
しかし少年はこちらの視線なんかまったく意に介さず、相変わらずふらりふらりとお菓子コーナーを吟味し続けているのみ。
わたしがとった行動
少年の動向を見守りながら、わたしは葛藤していました。
直接本人に伝えるべきか。
いま、袖になにか入れたでしょ?って。
それ、買うつもりのものなら手に持つかカゴに入れたほうがいいよ、って。
しかし、それは実行できませんでした。
近くを通りかかった店員の方に、こそっと密告。
店員が少年の姿を認識したことを確認して、わたしはその場を離れました。
なぜ直接言えなかったのか
言えなかった理由はいくつかあります。
自己保身、罪を犯す心理そのものへの恐れ、めんどくささ。
「万引き」といっても、おそらく商品を持ってお金を払わずに店の外に出るまでは、そう呼ばないのではないか。そんな思いがありました。
それではなぜ商品を懐にいれた時点で注意しなかったのかといえば、何か言って逆切れされたらどうしよう、悪い仲間がどこかで見てて囲まれたらどうしよう、そのあと逆恨みされて家の近くまでついてこられたらどうしよう。
情けないことにそんな考えがあったことも事実です。
コンビニで酒類を購入するときに法的にも見た目でも余裕でパスできるほどのいい年をした大人が、生まれて10年も経たないくらいの子どもに、その子のためになるようなことをなにも行動できないのです。
見知らぬ子どもとはいえ、注意することで起きる「責任」についての恐怖がとっさにふくらんでしまったのです。
わたしが想像した良い大人
これがきっと、映画「寅さん」や「三丁目の夕日」の大人だったら、悪事をはたらこうとしている子どもにきちんと注意することができるんじゃないだろうか。
そのあと子どもの親が登場して『うちの子がそんなことするわけないザマス!』とキレられたり、強そうなチンピラが出てきてボコボコにされたりしても、そんな状況におかれたら何度も何度も注意するんじゃないだろうか。あるいは、金八先生とか。
いずれもフィクションの人物だけど、わたしが想像する「良識のある大人」とはそういう人たちでした。
無責任ながら将来を憂う
そのあと男の子がどうなったのかはわかりません。
わたしがお菓子コーナーを立ち去ったあと、精肉コーナーや野菜コーナーでふらふらする彼をみましたが、スキップするような軽やかな足どりでご機嫌に店内を闊歩していました。
その晴れやかな表情がどんな状況を意味しているのか、わかりません。
妖怪お菓子の箱が袖口に消えていくのをみた瞬間から、わたしの心は爆弾低気圧が襲来したかのように暗雲に占められてしまいました。
しかしいまでも、しばしばこのことについて考えてしまうのです。あれから二ヶ月ほどの時間が経っているというのに。
あの行動が仮に「万引き」だとしたら。
あの子の行く末は遅かれ早かれ、暗いものになる。
いつか心から幸福だと思える状況になったとしても、きっといろいろな、本来するべきではない、しなくてもいい回り道をすることになる。
どうかそうなる前に、火種になりそうな燻っているたまっている塵のようなものを、どうにか跡形もなく消し去ってほしい。それは本人にしかできないことで、それをするためには、周りの手助けが必要。
少年を前にして何の言葉も発せられなかったわたしが言っても、ただのきれいごとでしかないのかもしれない。
でも、どうにか、なんとか、できないものなのだろうか。
あの子がこれから先に出会う人が、勇気と良識を持った人だといい。
本当に無責任ながら、そう思います。
(そしてわたしはチョコレートを買い忘れた)
お読みいただきありがとうございました。