2017年1月期ドラマ「カルテット」の最終話が昨晩放送されました。
最終的に、大人の恋もサスペンス要素も「グレー」のままドーナツホールの四人が仲良しこよしで終わる、というものでした。
そうやって「日常」を大切にする描写こそが坂元裕二脚本の長所なのでしょう。
それにしても大人四人が友情を築き、深め合い、許し合うということはなかなか現実にできることではありません。子ども時代や学生時代を過ぎると、「友達をつくる」ということのハードルがぐんと高くなります。
そこで、ドラマを通して明示された「大人が友情を築くために有効なステップ」について考えてみたいと思います。
共通の志をもつ
四人の共通の志は、「音楽で食べていく」ということです。
音楽は趣味にしておいて、たまにみんなで音を合わせるだけでは絆はここまで強くならなかったでしょう。あえて逃げ道を断つことで「この人たちとうまくやっていくほうが都合が良い」との意識が高まり、無駄な争いを避けることもできます。
四重奏という「誰か1人欠けたら成立しない形式」によって、責任感もうまれます。
多くの時間を共に過ごす
共同生活をして、四人そろって食卓を囲む。
こうやって楽器の練習以外の時間も共有することによって、互いへの理解を深め合います。食事中に持ち上がる「からあげにレモン(またはパセリ)問題」などは、それぞれの嗜好や考え方を確かめ合う良い機会です。
食事を一緒に楽しくとることができる、というのは最強です。食事をしていて「合わないな」という人とは同じ部屋の空気を吸うだけでも耐えられないけれど、食に関して合えば生活上のたいがいのことはうまくいくのではないでしょうか。
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秘密を共有する
すずめの過去、別府の恋、家森の家庭問題、そしてマキの戸籍売買と、殺人疑惑。
秘密を共有すればするほど、関係はより特別なものに思えてきます。
そして人間と言うのは得てして相手の秘密を知ると、自分の秘密も開示しやすい傾向がありますよね。
そうやって秘密を重ねていくことによって、より「離れられない関係」へと絆を固めていきます。秘密は大きければ大きいほどいいです。それは次の項で記述します。
共に困難を乗り越える
前項で共有した秘密が大きければ大きいほど、困難も大きくなります。
それを乗り越えるためには、仲間同士で力を合わせなければなりません。困難が大きければダメージもありますが、「一緒に傷つく」という体験もまた友情の糧となります。
ドラマにおいてはもともと孤独気味な四人だったからこそ、これができたのかなと思います。ドーナツホールのために一番社会的に大きなものを手放したと思われるのは、別府ではないでしょうか。別府はマキの騒動によりマスコミに追われ、別府ブランドにも傷が付き退職を余儀なくされます。 (元々『お飾り扱い』だったからあまりダメージもないのかもしれませんが)
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多少の恋心はエッセンスとなる
「大人の恋は、やっかいだ。」このドラマのキャッチコピーです。
確かに友情を築くのにあたって、恋心はやっかいなものかもしれません。
しかしどうでしょう。恋ができるほどの健康状態と、相手への興味はある程度必要なものではないでしょうか。
ドーナツホールの四人の恋はどれも一方通行で、最終話でも決着はつきませんでした。それはお互いが胸に秘めたままにしているからです。恋心を暴走させてしまえば、四人の友情関係は崩れてしまいます。また、たまに恋心が暴発しようとも、それを見て見ぬフリする術を身に着けています。それも友情を維持していくためには必要ですね。
おわりに
「カルテット」の四人を通して大人が友情を築いていくステップについて考えてみたのですが、ここで思い出した人たちがいます。
それは、SEKAI NO OWARI。
バンドという形式ではありますが、あの方たちも確か四人で共同生活をして、音楽の道を志していて、メンバー同士仲が良い…。男女比は違えど、似たような感じですよね?
これからはテレビでセカオワを見かけるたびにカルテットの四人を思い出してしまいそうです。
お読みいただきありがとうございました!