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日めくりインドア女子

いろいろかいてみる

憧れのアーティスト、さわる? さわらない?

あるアーティストのアコースティックライブ。

日本各地の小さな会場を回るという趣旨のツアーで、わたしが行ったのもかなり小ぢんまりとしたところでした。

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 会場の見取り図はこのようになっていました。

イラストがちょっとアレですが、座席と座席のあいだはもっと狭く、人が一人で通れるくらい空けて折りたたみイスが並べられています。

ステージには弾き語り用のギターとマイク。通常はバンドのボーカルとして活動しているアーティストでしたが、このツアーでは一人で弾き語りをしていました。

ステージの近くに出入り口はありません。

会場に出入りできるのは、観客も入場に使用した座席後方のドアのみ。

わたしがこのアーティストを好きになったのはずいぶん昔のことでした。十代の多感な時期にずっと繰り返して聴いたアルバム。歌声やメロディーはわたしの細胞に刻みつけられているといっても過言ではないほど、うれしいときもかなしいときもこのアーティストの歌声とともに人生を歩んできました。

そんな神様のようなアーティストが、もうすぐ近くのドアから登場して、すぐそばを通り過ぎる。

「ぜったいここ通るって!すぐ近くだよ!どうする?」

隣に座っている同行者も興奮しています。同行者である友人はこのアーティストに対して、曲を聴いたことがある、まぁまぁ好きというレベルの思い入れです。そんなクールな友人にまで興奮させるほどの至近距離。

やがて噂のドアが開き、会場はにわかに歓声につつまれました。

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神様は、急がず、しっかりとした足取りで、ステージに向かって歩いています。

まるで花道のようになったそこを囲むファンの笑顔、拍手。

めっちゃ近いです。

さわれるほどに近い。

実際、さわっている観客もちらほらいます。

神様はただしずかに微笑みをたたえながら、まっすぐにステージに向かいます。

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色めきだった歓声のなか、となりの友人が言いました。

「ほら、さわりなよ!」

神様はすぐそこ。手をのばせば届くところにいます。

あんなに憧れた存在が、実体をもってすぐそこにいる。

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わたしはさわれませんでした。

 

ライブ自体は素晴らしいの一言でした。

しかし、ライブ開始前の「どうしてもさわることができなかった」という事実だけが今でも妙にひっかかっているのです。

 

なぜさわれなかったのでしょう。

 

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ファンとしての自意識

ファンとして、「なるべく近くで見たいけれどアーティストの視界に自分が入ることが耐えられない」という心理があります。

それはひとえに「相手に嫌われたくない」という思いがあるからではないでしょうか。

「嫌い」だったらまだいいですが、存在そのものを認めてもらえなかったらどうしよう。そんな経緯を経ても、アーティストがつくりだす作品を好きなままでいられるだろうか。

目の前にいるアーティストに手をふれずにいることは、自分と対象との距離を守ることにつながります。関係の変化を望まない。そういう心理だったのかもしれません。

自意識過剰でもあったのでしょう。

相手がどんな反応を示しても、あるいは示さなくても、自分の「好き」という気持ちに変わりはない、という自信がなかったのです。

 

相手の気構えの問題

見守ることしかできなかったわたしに対して、同行者が何度も言いました。

「どうしてさわらなかったの?」と。

それに対してしきりに「プロレスラーじゃあるまいし!」と返していたのですが、それもさわらなかった理由の一環です。

たとえばこのような状況だったら、さわれます。

 

ライブの最中

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ライブの途中で盛り上がって、ステージの端にアーティストが来るパターンです。

これはさわれます。むしろ積極的にさわりたい。

アーティスト本人も手をのばして、ファンと触れ合うことも込みでパフォーマンスをしているという状況です。

こういった状況ならば、こちらがわの意識としても「さわって嫌だと思われたらどうしよう」とまでは考えません。草むらのなかの一枚の葉っぱのような感覚です。

 

プロレスラーの入場

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リングで闘うためにプロレスラーが入場するシーン。

わたしは実際にプロレスを見に行ったことはないのですが、これも観客がペタペタとレスラーにさわっているイメージがあります。そしてプロレスラー本人も、それをよしとしている…みたいな。

あくまで想像ですが、ああやってさわられることで士気を高めているのではないでしょうか。「さわるんじゃねーよコラ」とか「さわられてもびくともしねーよ」みたいな。

 

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おわりに

こうして考えてみると、相手がさわろうと(さわられようと)しているかを重要視していたのだと思います。

さらに本人が若干不本意ながら観客の合間を通ってきた感じだったので、触ったらどう思われるか、という心理もはたらきました。

しんみりとしたアコースティックだったからか、入場するときに本人が「ヘイヘーイ!」といった感じでもなかったですし。

ちなみに退場するときも状況は同じで、最後は晴れ晴れとした表情でしたがやはりそれもさわることはできませんでした。

あの頃より年を経た今、相手にどう思われようと作品を好きな気持ちは揺るがないものだ、とだいぶ図太くなってきました。残念ながらあのときのアーティストはもう活動停止してしまいましたが、もし握手会が開かれたらきっと行くでしょう。

最近はなんだか、会いたい人には会えるうちに会っておきたいなという気持ちのほうがつよい今日この頃です。 

 

お読みいただきありがとうございました。