日めくりインドア女子

ゲームや漫画、ドラマやコンビニスイーツなどに関するインドア女子の記録

今こそ読みたいアレハンドロ・ホドロフスキーの言葉

最近話題になっている漫画「ど根性ガエルの娘」。

最新話である15話では、今まで漫画の中では『過去のもの』とされてきた作者と父母との問題が、現在進行形であることが明かされて衝撃が走りました。

ど根性ガエルの娘」に関してid:yutoma233(みどりの小野)さんが書いた記事を読んで思い出した言葉がありました。

 ▼みどりの小野さんの記事です

yutoma233.hatenablog.com

この記事のなかで小野さんは、「ど根性ガエルの娘」を自分と親との関係に照らし合わせ、こう書いています。

たとえ親が変わっても、自分が大人になっても、心の何処かに布団を被って泣いていたあの日の私がいる。 けれど一方で、そうやっていつまでも抱えていることを子どもだ、人のせいにするなと責める私もいる。 漫画を読んで私は、思うことは自由なのだ、と許された気がした。

あなたを嫌いでもいいですか?「ど根性ガエルの娘」感想 - おのにち

子どもの自分と、大人の自分。

大人になったからといって子どもの自分が消えるわけではなく、触れようと思えばいつまでも生々しい感情がそこにある。

小野さんのとはちょっと違いますが、子どもの頃に形成された人格を「インナーチャイルド」と呼んで慰めたり労わったりする考えもありますよね。でも、その小さい自分を導いていけるのは「現時点まで成長した今の自分」だけなのだろうか、という疑問がふとわきました。

※自分の内面における問題なので、他者は入り込めないものとして考えています。

それで思い当たったのが、カルト映画界の巨匠ことアレハンドロ・ホドロフスキーが対談で発した言葉です。

岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』

 

この中で、岡村靖幸さんからの

「年を取ると子供の感性は失われるものですか?」

という質問に対して、ホドロフスキーはこのように答えています。

 

 みんな、「〇歳までが子ども」みたいな言い方をよくしますよね。たとえば「7歳までは子ども」とか。でも本当はそうじゃない。
(じっと目をみながら)「子どものときのあなた」は常にあなたの中にいる。「青年のときのあなた」もいる。

それぞれの年代の自分が、今の自分の中にいるのです。みんなの中に、いろんな年代の自分がいる。そしてあなたの子ども時代には、あなたの中にいる大人があなたを導いていた。そうやって私達はこの人生を生き抜いてきたわけです。

(引用元:岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』P190)

この部分を初めて読んだとき、雷に打たれたような衝撃と同時に「やっぱりそうだったんだ」と合点がいったのを覚えています。

興味深いのは、子ども時代には大人の自分が自分を導いていた、というところ。

たしかに子どもって大人からみたら行動も考えも幼く見えるけれど、感覚的には大人とそう変わらないものを持っていたりしますよね。

自分が子どもの頃を思い出してみても、「自分は周りの大人が言うほど子供(未熟者)ではないんだけどな」と感じることがありました。それは大人への反発からくる気持ちではなくて、まさに自分の中に子供から老人までの自分が存在している、といった風に。 

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ちなみにこの対談のときに公開されていたホドロフスキー監督の映画「リアリティのダンス」では、子ども時代の視点と老人の視点のふたつが使われているそうで、それもみんなそれぞれのなかにある視点である、とも語られていました。

▼映画『リアリティのダンス』予告編

わたしはこの映画については未見なので勉強不足で申し訳ないのですが、例の対談集の他にも、ホドロフスキーの言葉にはかなりハッとさせられることが多いです。 

▼2014年に日本で行われたという「100人座禅大会」での説法の様子だそうです。

 

おわりに

親子関係における確執や感情、からはだいぶ着地点が離れてしまいましたが、 備忘録も兼ねてご紹介させていただきました。

「自分」という物語の中にはいろんな年代の自分がずっといる、そう考えると少し心強くなりませんか? 忘れなくてもいいし、許さなくてもいい。愛が憎しみに変わるわけでも、憎しみが愛に変化するわけでもなく、愛も憎しみもそこにある。小野さんが書いていたのと同じ内容になってしまいますが、そう思いました。

自分という大陸で一本の樹木が大きく成長していくイメージではなくて、いろんな年代の木があってそこを渡り歩く体力がついていくのが「成長」なのかもしれません。

昔のわたしにはよく感じ取ることができなかったアレハンドロ・ホドロフスキーさんの映画(そのときは「ホーリー・マウンテン」)でしたが、今あらためて見たらまた感じ方が違うかもしれない。それとも、何も変わらないかもしれない。でもそれもまたアリかもしれない、と思いながらも今度また観てみようと思います。

岡村ちゃんの対談本は他にも興味深い対談(大貫妙子さんや星野源さんなど)がたくさんありましたので、また別の機会にご紹介させていただくかもしれません。

 

お読みいただきありがとうございました。